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小さなオープンカーで北海道の温泉を巡る、道産子の入湯記録。
旧丸谷温泉
北海道美瑛町。
旧丸谷温泉は、明治から大正にかけて存在した温泉でした。
現在そこは、望岳台と呼ばれています。
十勝岳登山のスタート地点でもありますね。
明治37年、丸谷温泉はここで営業を開始。
第一から第三まであり、最盛期は年間500名ほどの湯治客が足を運びました。
また、火口付近には硫黄鉱山もあったようです。
その間も十勝岳は活動を続けています。
その影響で、大正2年には丸谷温泉の温度上昇、湧出量増加。
また、中央火口丘の南側にある湯沼に、溶融硫黄の沼が出現。
7-8メートルも硫黄が吹き上がることがあったようです。
最初は70数トンだった硫黄の生産量は、大正14年には1900トンにまで増えています。
そして、大正15年。
十勝岳の活動は活発になり、降灰・地震・噴煙などの現象が頻発。
同年5月24日に大噴火し、施設の新築を行っていた丸谷温泉や現白金温泉地区にあった「畠山温泉」、そして「翁温泉」は破壊されなくなりました。
噴火によって発生した泥流は、火口から北西2.4kmにあった鉱山事務所を襲い(泥流が達するまで1分かかっていない)、さらに美瑛川と富良野川に分かれて流下。
泥流は25分後には火口から25kmの上富良野原野に達し、上富良野・美瑛の2村が埋没。
死者及び行方不明者144人、負傷者約200名、建物被害372棟、家畜被害68頭、山林耕地の被害となりました。
この場所は、その時の泥流がそのまま固まったかのようなボコボコの地面です。
とても歩きにくいのですが、迫力がある光景でした。
現地に立つと写真で見るよりずっと山が近くに見えるのですが、十勝岳の頂上までは遠く、登山は一日がかりの工程になりそうです。
十勝岳はその後も活動を続け、白金温泉も影響を受けています。
詳しくは気象庁のHPをご覧ください。
丸谷温泉の親族による慰霊碑が建っていました。
ここにどんな人が訪れたのでしょう。
どんな宿だったのでしょうか。
もしかしたら、どこかにお湯がまだ湧いているのでしょうか。
興味は尽きないところです。
なお、大正時代の十勝岳噴火の詳しい様子は、内閣府のページをご覧ください。
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のん
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男性
職業:
温泉愛好家&温泉ライター。温泉資格:温泉入浴指導員・温泉健康指導士・温泉ソムリエマスター・温泉観光士・温シェルジェ・温泉観光実践士・温泉観光管理士・高齢者入浴アドバイザー。
趣味:
湯。翼。
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